組織拡大に伴う「ひずみ」に備えよ。3度のIPOに立ち会った人事トップが語るミッション

スタートアップの初期から上場前・後など、組織のフェーズによって人事のミッションは変化する。そしてIPOという一つの大きな転換点を迎える時、人事は人事労務体制やガバナンス面の見直しなど、多くのタスクを背負うことになる。

企業がIPOを目指す際、人事はどのようなミッションを担うのか、組織および社員とどう向き合うべきなのか。陥りがちな落とし穴や、課題を乗り越えるための実践について、人事として3度のIPOを経験してきたAlgomatic CHROの高橋寛行氏に伺った。

高橋 寛行 氏

Algomatic CHRO

2005年株式会社インテリジェンス(現 パーソルキャリア株式会社)にて人材紹介に従事し、2010年より株式会社ミクシィ(現 株式会社MIXI)にて人事キャリアをスタート。2012年株式会社コロプラへ入社、採用・制度企画・労務等の人事全般を経験。2016年からは株式会社メルカリにて中途採用・新卒採用の立ち上げ、People eXperience(制度企画・労務)に従事。2019年より株式会社ヤプリで人事部長を務めたのち、2023年より株式会社hacomono CHROとして従事するなど、人事として3度のIPOを経験。2024年1月よりAlgomatic CHROに就任。

IPOがゴールではない。変化による「ひずみ」に向き合う

──高橋さんは人事の立場で、これまで3度IPOに立ち会ったそうですね。

はい。コロプラで人事として最初のIPOを経験したあと、2016年にメルカリに入社し、100名ほどだった組織が約2,000名にまで拡大する過程でIPOに立ち会いました。その後、ヤプリに人事部長として入社し、そこでもIPOを経験しました。

ベンチャー企業の拡大期に立ち会うことが多く、現在は生成AI領域の事業を展開するAlgomaticでCHROを務めています。

──企業がIPOを目指す際、人事トップのやるべきことは多岐にわたります。高橋さんが考える「IPOにおける人事のミッション」とは何ですか?

このフェーズにおける人事のやるべきことは2つあると考えています。

一つは、IPOに向けた制度面の整備です。上場審査に耐えうる人事・労務体制を整えるため、法令順守できているかの確認やルールの見直しが必要です。加えて、急成長する組織は往々にして多忙なことが多いのでそのルール下で組織運営を継続させる体制や仕組みをつくることも、併行する必要があります

前者の規程まわりや審査に必要な業務は、各プロフェッショナルのお力を借りながら進めていくことになると思います。人事としては後者のルールが増えていくなかでも組織の息苦しさを最小限にすることや、カルチャー面とのバランスを維持しながら柔軟に組織拡大をしていくことその塩梅を探ること重要かつ大変なミッションの一つかと思います。

もう一つ重要なミッションがあって、それは企業の成長に対応する準備です。資金調達を経て、事業と組織を拡大していくなかで、そのフェーズに適切な人材を獲得していくことや、急成長に伴う組織の「ひずみ」に向き合うことも人事の役割です。

IPOはあくまで企業の成長の通過点で、人で言えば成人式のようなものだと思っています。当然、成人式を迎えて終わりではなくむしろ始まり、そこからさらに大人になるための振る舞いを身につけることも大事ですよね。IPOが近づくと、「大人になっていくためには何が必要かを考えたり、そのためのミッションが降ってきたりすることが増えていきます。

──企業の成長とともに組織課題に直面することは多いと思いますが、特にIPOによって起きる組織の「ひずみ」とは何でしょうか?

実際にIPO前後の企業フェーズを経験された方はお分かりになるかと思いますが、企業の中から見た「IPO」というイベントは良くも悪くも何も変わらないという感じです。もちろん、ある種のお祭りのようなイベントでIPO達成を一つの区切りとして社員同士が労をねぎらってここからまた再出発だと意気込む、非日常な側面はあります。

ただ、事業や自分のミッションや業務レベルではIPO前日までと当日以降劇的に何かが変わるわけではありません。ただ、個人的に一番多く変化として見受けられるのが採用環境」だと感じています。

IPOすることで会社の知名度が一気に上がり、それまでの採用活動では出会うことがなかった、より多くの異なる思想を持つ人材が入ってくるようになります。そうすると、IPO前からいる社員と、IPO後に入社した社員の間により非連続な大きなギャップが起きることがあるのです

例えば、既存社員にはないキャリアを持った方がどんどん入ってくるようになり、それまで培ったキャリアを還元しようとしてくれる一方で、既存の社員は「自分たちが知っている会社ではなくなっていくような感覚」「これまでの経緯や歴史、文脈が軽視されていくような感覚」を持つことがあり、お互いにハレーションを起こしてしまう場合があるのです。

既存社員も、新しく入社してくれる人たちに対して排他的な感情があるわけではありません。他意がないケースも多く、古参メンバー同士で昔を懐かしんだり、何気なく思い出を語ったりすることが、新しい社員からすると距離を感じさせ、仲間として認められていないと感じさせることにつながっている。こういっチリツモが、組織の大きな「ひずみ」になりうるのです

こういった悪意のない「ひずみの種を放置しておくとまずいのは、それが顕在化してからでは、ラディカルに組織を変えること難しくなってしまうからです。こういった「ひずみ」が顕在化してから組織として「最近、ちょっと雰囲気よくないな! みんな明日からもっと仲良くしていこう」と言っても、そもそも悪意や他意のないチリツモの集合体なので社員たちはピンと来ず、何を変えればいいのか分からないので改善できない、となるわけです。

──なるほど。こうしたひずみを防ぐために、IPO前から準備が必要なのですね。

その通りです。IPOというイベントがもたらす、とりわけ採用環境の変化によって組織のカルチャーが変わる可能性があることを見据えておくことが重要です。とにかく「ひずみの種対する嗅覚を持、割れ窓理論的に早くから意識して対処する。これは長年、スタートアップ企業の拡大期に立ち会うなかで得た教訓です。

多くの企業の人事が、新しく採用した社員への入社オンボーディングには力を入れる一方で、既存社員へのアプローチを見落としがちだと思います。しかし、成長期のスタートアップでは、既存社員をその時々のフェーズにカルチャーフィットさせていくことが重要なのではないでしょうか。

もちろんIPOにかかわらず組織の変化はあります。ですが、先ほどお伝えしたIPO前後では採用環境の変化が起こるため、それまでと性質が異なる組織の変化が起きる」ということを前提とした場合の話をします。

IPO前に新しい人が入って社員が増えていくことは、カルピスに水が足されていくようなものです。そこで、独自の価値観やカルチャーが薄まらないようにまだ入社時点では水である社員をさまざまなオンボーディングプログラムを経て原液化していくことで、組織の濃度を維持する。このように、シンプルに新入社員へのカルチャー理解促進などアプローチがポイントになります。

一方で、IPO後はそれまでにはなかったより異なる多様な価値観や経験を持った人材が加わって、新たなカルチャーを構築していくことに意識を向ける必要があると思っています。いわば、水ではなくオレンジジュースが加わってくる。会社の持続的な成長のためには、濃度の高いカルピス化を目指すのではなくオレンジ風味のカルピスに変化していくことを、むしろ既存社員側が受け入れるというアプローチも必要になるわけです。

これは、組織の拡大においては必ず直面する“成長痛”のようなものですが、特にIPOは人材獲得の潮目になります。組織にひずみが生まれるきっかけになり得るということを、あらかじめ認知しておく必要があるのです。

IPO前から人事がとるべきアプローチ

──では、IPOの前に人事はどんなことに取り組んでおくべきでしょうか?

一つは、IPO後に起こりうる組織のひずみを予測して、それらに対して細かい打ち手をたくさん実践することです。銀の弾丸のような対策があるわけではないので、泥臭く一つひとつの課題に対応していくことが大事です。

起こりうる課題としては、既存社員と新しい社員との間の給与格差や評価基準の差、意思決定の複雑化・長期化の問題、持っている/得られる情報の格差などが上げられます。

例えば、同じポジションかつ近しい能力の社員でも「このタイミングで入社したAさんには年収500万円でのオファーが限界だったけれど、今のタイミングで入社したBさんには700万円のオファー提示ができる」といった状況が企業のさまざまな事情から起こり得ます。こに加えて、昇給の評価制度が「この評価を獲得したら年収に対して●%昇給」という形態をとる場合、絶対額でみると二人のその差はますます拡大していきます。

これに関して人事は、会社全体の給与形態を見直したり、インセンティブ制度を駆使したりといった対応が必要です。

また、組織が拡大することで社内の人間関係も大きく変わります。社員数十人の時代には社員と代表との距離も近くカジュアルなものかもしれませんが、数百名規模の会社なってくると代表と顔を合わせる機会なども相対的には減っていきます。昔から在籍している社員と新しく入ってきた社員では、社内の要職者へ話しかける心理的抵抗感などはぜんぜん違ったりするので、その社歴という事実だけでも意思疎通のしやすさにギャップが生まれることになります。

それに伴って、得られる情報量にも差が生まれます。新しい社員は、当然の過去の経緯や武脈を知らない。さらには代表以下、社内の要職者に話をつけてくることへの心理的障壁まで大きくことなってくるとそれがまた、ひずみの発端になることあります。

こうした課題を見据えて、代表や役員と社員と交流する機会をどう設計していくのかが重要です。また、オウンドメディアや社内報といったストック型のコンテンツをなるべく用意するとによって、どの入社タイミングの社員でも過去の情報をキャッチアップできる仕組み有効なアプローチになるでしょう。

──なるほど。一方で、既存の社員が新しい組織へ適応するためのアプローチも必要ですよね。人事からどのように働きかけるとよいでしょうか?

先ほど申し上げた通り、企業の拡大期には新しい社員のオンボーディングだけでなく、既存社員が新しい組織カルチャーにアジャストしていくことも重要です。

そのためには、行動基準のインストールが必要になるわけですが、いきなり新しい振る舞いを身につけるのは大変です。そもそも人間は変化を恐れる生き物なので、グラデーションをつけて徐々に新しい価値観を浸透させていくのがよいでしょう。つまり時間をかけることが大事だと考えています。

この時、社歴が長い社員やマネージャーといった影響力が大きい社員からアプローチすると、浸透しやすくなると思います。

例えばマネージャーが自分の部署で、「昔は良かったよね」と言うとメンバーは「昔は良い会社で、今は良くない会社なんだ」とミスリードされてしまう。逆に「うちの会社、昔とは違うけどなんかいい感じに進化してきて最高だよね」と言えば、変化を前向きに捉えられる人が増えるのではないでしょうか。

「人事×ビジネス」でプレゼンスを向上する

──高橋さんがHRトップとして、大切にしていることを教えてください。

「人事としてプレゼンスを発揮する」ことを意識しています。

人事は経理や法務と比べてスペシャリティを明示的に証明することが難しい部署の一つではないかと思っています。どの職種の方でもそれぞれ誰もが「採用をこうしたら良さそう」「うちの組織はこれがよくない」といった人事観を持っているので、経営陣も自由に意見を出してくれることが多い。

どの分野の人でも関心を持って意見してくれることはうれしい反面、人事のプロとして「この道が正しいんだ、正解なんだ」ということみんなに合理的に納得してもらうことが難しいシーンもあります

もちろん、人事の施策に関する成果を定量化し客観的合理性のある形で説明する能力も必要であることは前提なのですが、一部そこに正解はないが経験則や感覚としてこうすべきであるという場面もあると思います。そのシーンがやってきた時に、「この人言うらそうしてみようか」と思っていただけるだけの信頼を、日ごろから構築しておくことが大事。

そのためには、個人的には採用活動で実績を出すことが効果的ではないか考えています。採用は、定量的に成果が出しやすい分野でもあります。また、とりわけ成長中の企業であれば経営陣以下、誰もが求める成果であることが多いので、一番分かりやすく信頼獲得につながると思います。

その後、採用領域以外の客観的正解が見出しにくく、定量的に表現しにくい分野の人事課題に直面した時もよりプレゼンスを発揮しやすくなるのではと思います。

──これからの人事トップにはどのような考え方が重要になってくると思われますか。

人事にはHR領域の専門的な知見が当然求められますが、人事としてのプレゼンスをより高めるためは人事以外の分野におけるリテラシーも必要になってくるかと思います。いわゆる、ビジネス理解や現場理解などと言われるものです。

事業側から人事へ異動される方もいらっしゃいますが、もともと人事の方の中には、私も含めて、ビジネス領域対するある種の劣等感に近いものを感じている方もいらっしゃるのではないかと思います。そういった方に個人的に一番おすすめなのは、副業などでHRのドメイン知識を使ってビジネスの領域に踏み出していくことです。

僕自身も現在AlgomaticのCHROを務めながら、AIを活用したHR領域のプロダクトの事業開発も行っているんです。「自分はコーポレートの人だから」と自分自身に制約をかけないことが大事。これからは「人事×他の専門領域」で、人事から染み出してキャリア構築することへの意識が、結果的に人事として業務を楽に、より成果の出しやすい環境にしていくことにつながるのではないかと思います。

※記載されている情報はインタビュー当時のものです。

この連載の記事一覧

UNITE powered by Uniposをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む