「最長5年休業」「月3万円手当」で介護離職ゼロへ。名鉄人事の挑戦
2026.03.04
創業131年、中部圏の大手私鉄として地域の足を支えてきた名古屋鉄道株式会社。同社は「介護離職ゼロ」をKPIに掲げ、介護休業最長5年、被介護者1人あたり月額3万円の手当支給など、法定基準を大幅に超える支援制度を整備している。その取り組みが評価され、「日本の人事部 HRアワード2025」企業人事部門で優秀賞の受賞を果たした。
一方で、同社が取り組むのは介護支援だけではない。2024年に刷新した経営ビジョンのもと、社員一人ひとりが挑戦できる組織風土の醸成にも注力している。しかし、安全運行が最優先の鉄道会社において、挑戦を推進することは容易ではない。
人事部門を統括する加藤悟司氏に、改革の背景から人事トップとしての哲学まで伺った。
Profile

加藤悟司 氏
名古屋鉄道株式会社取締役常務執行役員グループ事業・人事部総括
1991年名古屋鉄道入社、鉄道現場・海外ホテル出向を経験後にグループ事業部門に在籍。グループ事業の再編、組合・労使紛争対応や人事制度改定等を経験。秘書課長、関連会社の宮城交通取締役を経て、2017年名古屋鉄道総務部長、2020年執行役員、2022年常務執行役員人事部長、2023年取締役、2025年取締役常務執行役員グループ事業・人事部総括(現職)
「労務管理型人事」から「経営戦略の実現を支える人事」へ
――加藤さんが2022年に人事トップに着任されてから、名鉄の人事組織の変革が進んでいます。当時どのような課題感を持っていたのでしょうか。
着任した当時に直面したのは、これまでの「労務管理型の人事」の限界でした。
かつての人事は制度を運用し、ルールを守らせる管理機能が中心でした。しかし、深刻な労働力不足が顕在化し、さらにコロナ禍で当社の主力事業である移動やサービス業が甚大なダメージを受ける中で、「従来のやり方では会社を守れない」という強い危機感がありました。
そこで私が掲げたのは、「経営戦略の実現を支える人事」への転換です。人事は単に人やコストを管理するのではなく、戦略を推進し、社員一人ひとりを能動的にサポートする組織へと生まれ変わる必要があると考えました。
まず取り組んだのは、組織体制の見直しです。
それまでは、「制度をつくるチーム」「健康面を管理するチーム」「人事相談や異動・配置を考えるチーム」など、機能ごとに組織が分かれていました。いわゆる「縦割りの運用型」ですね。
それを戦略策定から実行までを一気通貫で取り組める体制に再編しました。管理機能のみならず、「戦略推進機能」と「社員一人ひとりをサポートする機能」を併せ持つ組織へと刷新したのです。
また、労務や健康管理の担当を「人財活躍推進担当」という名称に変えることで、現場の社員から見て相談しやすい間口をつくりました。「人事部 労務担当」といった名称だと、特に人事部から離れた現場の社員にとっては厳しそうで相談しにくい。名前を変えるだけでも、だいぶ間口が柔らかく話しかけやすくなったと感じています。

「介護離職ゼロ」を目指した、法定を超えるフルパッケージの介護支援
――人事改革の一環として介護支援制度の拡充にも取り組まれています。この背景を教えてください。
当社の特徴として、50歳以上の社員が約半数を占めるという労務構成があります。この年齢層にとって、介護は決して「いつか起こるかもしれないこと」ではなく、今まさに直面している、あるいは、明日直面してもおかしくない自分事です。
実態を把握するために2023年度に実施したアンケートでは、「2親等以内で介護を必要とする親族がいる」と答えた社員が、回答者の約25%、人数にして約1000人に達しました。さらに、そのうちの多くが会社に介護の状況を詳しく報告していない「隠れ介護者」である可能性も浮き彫りになりました。
――社員の4人に1人が介護当事者という数字は深刻ですね。
介護は育児と違い、終わりの見えない不安が社員を蝕みます。親の容体がいつ悪化するか、どれくらいの期間続くのかがわからない。この不安を抱えたままでは、社員は本来持っているパフォーマンスを十分に発揮できません。
介護を理由に優秀な人材が去っていくことは、会社にとって測り知れない損失です。だからこそ、「介護離職ゼロ」を明確なKPIとして掲げ、社員が「会社は本気で自分を支えてくれる」と安心できるレベルの制度が必要だと判断したのです。

――手厚い介護支援プログラムが2025年のHRアワードを受賞しました。改めて、その中身を教えてください。
当社の制度は、法定水準を大きく上回るのが特徴です。例えば、介護休業の期間は法定の93日に対し、当社は「最長5年間」としています。
この「5年」という数字には根拠があります。認知症サポーター研修を通じて連携していた社会福祉協議会の専門家から、「在宅介護期間は概ね5年程度あれば、ある程度の先行きが見通せるようになる」というアドバイスをいただいたのです。
社員が「1年しかない」と思うのと「5年ある」と思うのでは、心の余裕が全く違います。この安心感こそが、離職を防ぐ防波堤になると考えました。
また、単発の通院や手続きに対応しやすいよう、介護休暇も法定の年5日から「年12日」に拡大しました。これに加えて、短日数勤務(月最大10日程度の無給休暇)の期間制限も撤廃しています。
これは実際に介護をしている社員の声を聞くと、「月に1回くらいは病院に連れて行く必要がある」という実態があったためです。
――経済的な支援についても、かなり踏み込んでいますね。
経済的な不安も、介護と仕事の両立を妨げる大きな要因です。
そこで、2024年4月に「ファミリーサポート手当」を新設し、「扶養する被介護者1人につき月額3万円」を支給しています。これは子ども1人目の手当(1万5千円)の2倍水準です。介護にかかる費用負担の重さを考慮して、この金額に設定しました。
さらに2025年4月からは、介護休業中の経済的不安を軽減するため、介護休業の最初の1年間に「給与の1/2相当の支援金」を支給する仕組みも導入しています。法定では介護休業中は無給ですが、「休業したくても経済的に難しい」という声に応えた形です。
――時間的、経済的に、介護の費用や負担に応じたサポートを受けられるのは安心ですね。しかし、自分がいざ介護に直面したときに、なかなか会社に言い出しにくいというケースもありそうです。
実際、介護に直面した瞬間、頭が真っ白になる方は少なくありません。何から手をつければいいのか、どの制度を使えるのかわからない。しかも介護は秘匿性が高く、上司や人事には言いにくいという方も多いんです。
そこで、社内の相談窓口に加えて、外部の専用相談窓口を新設しました。会社を介さず専門家に直接相談できる場所があることで、心理的なハードルを下げられると考えています。
また、介護についての理解を日頃から深めておくことも必要だと考え、「両立ガイドブック」を作成したほか、年齢別セミナーでの介護研修や人事ポータルサイトでの情報発信も行っています。
介護に直面する前の準備段階から、実際に仕事と両立していく段階まで、継ぎ目のない支援体制を整えることが、離職防止には不可欠だと考えています。

――他にも、制度を利用しやすい雰囲気をつくるために工夫していることはありますか。
社内への周知にあたって、各現場の総務担当者を集めた説明会を何度も実施しました。労働組合にも協力してもらい、「労使で一緒に、みんなが安心して働ける職場づくりに取り組んでいる」というメッセージも発信しています。
その結果、制度の認知はかなり進み、2025年のアンケートでは、「介護休業を使って親の最期を看取ることができた」「介護と仕事が両立できる制度があることで安心して働ける」といった声が届いています。
一方で、「まだまだ職場には休暇を取りにくい雰囲気もある」「役職的に使いづらい」という声も正直あります。制度をつくって認知までは進みましたが、実際に使いやすい風土づくりはまだ道半ばです。2030年度の「介護離職ゼロ」達成に向けて、引き続き取り組んでいく考えです。
安全最優先の鉄道会社で「挑戦する風土」をどうつくるか
――介護支援と並行して、2024年3月に刷新された経営ビジョンのもとで「挑戦」を促す風土改革にも取り組まれています。
新しい経営ビジョンでは「地域価値の向上に努め、永く社会に貢献する」という使命のもと、「信頼の源泉となる『安全』を基盤として、『驚き』から『感動』、そして『憧れ』につながる名鉄グループならではの価値を提供し続ける」ことを掲げました。
このビジョンを象徴するスローガンが「名鉄×WAO!」です。これは、地域のお客様にワクワクや驚きを提供し、あたりまえの毎日を彩る存在でありたいという想いを込めたものです。同時に策定した人事ビジョン「あなたらしく、そしてその先へ」でも、人財投資を通じて「挑戦・創意工夫」を引き出すことを戦略の柱に据えました。
しかし、このビジョンを現場に浸透させるには、鉄道会社が長年大切にしてきた文化との折り合いが最大の課題でした。鉄道事業はミスを極限まで排除し、安全に輸送を完遂することが大前提。そのため、組織には「変化を望まず、エラーをなくす」という風土が深く根付いています。失敗の可能性がある「挑戦」は現場の価値観と対極にあり、ただ言葉を発信するだけではなかなか共感を得られない難しさがありました。
実際、鉄道現業や財務・法務などの管理部門からは、「私たちの部署で具体的に何をすればいいのか」という戸惑いの声が上がりました。一方で、新規事業やDX、マーケティングといった部署は挑戦の機会がわかりやすく、「特定の部署ばかりが評価されるのではないか」という不安の声も出ていました。

――「安全」と「挑戦」のバランスを取りながら、どのように風土改革を進めたのですか。
まず、現場の社員へのメッセージには細心の注意を払いました。「安全輸送を完遂していること自体がすごいことであり、今の仕事をさらに磨き上げていくことも立派な挑戦ではないか」と発信し、社員一人ひとりに腹落ちしてもらえるよう、対話を重ねてきました。
また、コーポレート部門と鉄道現業では、発信の仕方を変えています。これからグループ経営を担っていく層と、昼夜を問わず安全輸送を完遂することが基本的な役割である社員とでは響くメッセージが違う。人事としてもそこを意識しながら取り組んできました。
同時に重要だったのが、発信者である人事が自ら「挑戦」の先陣を切ることです。人事が言葉だけで「挑戦しよう」と言っても、現場には響きません。
よく「人事は失敗してはいけない」と思われがちですが、私はそうは思いません。もちろん給与や評価といった信頼の基盤は間違いないものが求められますが、人事戦略や働き方の施策はむしろ新しいことに挑戦して、トライアンドエラーを繰り返したほうがいい。そして、「エラーを恐れない姿」を社員に見せることで、組織全体の空気を変えていきたいと考えました。
たとえば、人間ドックの無償化や社員食堂の無料健康メニュー提供、特急車両内での内定式イベントなど、これまでの常識にとらわれない施策を次々と打ち出しました。当然、社内からは「不公平だ」という声もありましたが、そこで立ち止まるのではなく、社員の声を聞きながら「じゃあ、次はこうしよう」と改善していけばいい。
福利厚生などの制度に一律の正解はありません。完璧を求めすぎず、まずはやってみて、トライアンドエラーで磨き上げていく。この人事が率先してやってみる姿勢こそが、結果として社員が何か新しいことを始めてみようと思えるような風土づくりにつながっていくと考えています。
――最後に、人事トップとして加藤さんが大切にしている考え方を教えてください。
私がいつも心に留めているのは、「一升マスには一升しか入らぬ」という言葉です。
人も組織も、器の大きさには限界があります。短期的な成果を出そうとして、無理やり仕事やノルマを器以上に詰め込むことはできても、それを長く続けることはできません。無理をさせればいつか溢れてしまいますし、強引に詰め込めば器そのものが壊れて、社員の疲弊や不信を招いてしまいます。
人事の役割は、限られたマスの中に何を詰め込むかではなく、「将来に向けて、どれだけこのマスの器を大きくしてあげられるか」にあると思います。つまり、社員一人ひとりの器を大きくすることが人事責任者としての私の役割なのです。
「介護離職ゼロ」への取り組みの根底にも、この考え方があります。介護という困難に直面した社員が、手厚い制度に支えられながらキャリアを継続し、そこで得た経験を人生の糧にする。そうした社員一人ひとりの器の広がりの積み重ねが、結果として組織全体の力を高め、会社の持続的な成長につながっていくはずです。
「一升マスに一升」という今の限界を尊重しつつも、次の新しい一升を受け止められるように社員を育てていく。それが、人事トップとしての私の役割であり、名古屋鉄道の未来をつくることだと考えています。
※記載されている情報はインタビュー当時のものです。
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