「心理学」が人事の強い味方になる。活用シーンを専門家に聞いた

人事は人と向き合う仕事であり、現場の社員や経営層が何を考えているのかを理解し、施策に落とし込む役割を担っています。しかし、実務の現場では、緻密に設計したはずの制度が浸透しなかったり、マネージャーによって育成の質に大きなムラが出たりといった壁にぶつかることも少なくありません。

臨床心理士であり組織支援の実践家でもある佐藤映氏は、その背景には、「同じ施策でも、受け手側の心理状態や周囲との関係性によって、その受け止め方が全く変わってしまうという人間特有の反応がある」と指摘します。

こうした「マニュアル通りにはいかない現場の反応」を心理学で読み解き、理論を実践に活かすためのスタンスや心構えをまとめたのが、 佐藤氏の著書『実務のあらゆる場面で活用できる 「人事」のための心理学』(日本実業出版社)です。

人事が心理学を学ぶことは、日々の業務にどのように生きるのでしょうか。現場を動かすための知見を伺いました。

Profile

佐藤映 氏

臨床心理士・公認心理師

臨床心理士・公認心理師。京都大学教育学部を卒業後、同大学院 修士課程で心理臨床学を修める。修士(教育学)。その後、同大学院 博士後期課程を研究指導認定退学し、京都文教大学臨床心理学部教員(特任講師)を経て、2020年にリーディングマークに参画、組織心理研究所 所長を務める。心理学の専門性を活かし、ミキワメAI 適性検査、ミキワメAI ウェルビーイングサーベイの測定ロジックやアウトプットの開発と活用支援を監修。2025年より専門役員に就任。著書に『実務のあらゆる場面で活用できる「人事」のための心理学』(日本実業出版社)がある。

 

 

 人と向き合う人事こそ、心理学を学ぶべき

——昨今、人事業務においてもAIを活用する場面が増えています。こうした状況で、人事担当者が心理学の知識を学んだほうがいい理由を教えてください。

身の回りで起きた出来事の意味を調べたり、理論を勉強したりするだけならAIに聞けば十分です。AIのアドバイスによって自分自身の不安を軽減し、安心感を得るという点では一定の効果があるでしょう。

しかし、人事の本来の仕事は従業員が成果を出せる組織を作り、パフォーマンスを最大化させて事業目標を達成することです。そのためには「人を動かす」「交渉する」「異なる部門同士をつなぐ」といった、現場での泥臭い巻き込みが必要になります。

私は人事の実践を、水泳と同じような実技だと捉えています。例えば、クロールの泳ぎ方をAIに聞いても、実際に水に入らなければ泳げるようにはなりませんよね。コミュニケーションも同じで、実際には体が覚えないといけない領域なんです。

一人ひとり異なる人間、異なる業種やフェーズの中で一般的な知識をどう適用し、どう立ち振る舞うか。この「学んで試して」を繰り返す実践面の知識こそが、AIには代替できない人間ならではの価値になります。

心理学の知識は、その試行錯誤の精度を上げるための道具として使うものです。

「どうすれば従業員のモチベーションが上がるのか」「どうすれば自分たちの意図が正しく伝わるのか」という問いに対し、仮説と検証を繰り返す。そのプロセスを通じて、人事業務を「再現性のある技術」へと昇華させていくことに、人事が心理学を学ぶ真の意義があると考えています。

バイアスを取り除き、組織をシステムで捉え直す

——これまで人事の現場を数多く支援してきた中で、心理学が特に必要だと感じた場面はどのようなものでしたか。

「なぜこの問題が起きているのか」の原因の特定が、ずれているケースをよく見ます。

例えば、ある企業で早期離職が増えているとします。その理由として、「採用のミスマッチが起きている」という話になりやすい。でも、本当にそうでしょうか。

入社後のオンボーディングがほぼなくて、放置されているだけかもしれない。あるいは、特定の上司のチームに配属された人だけが辞めているだけかもしれない。

こうした可能性を丁寧に検討せず、「採用を見直そう」で終わってしまうパターンが結構あります。最初に立てた仮説が、その後の判断を縛ってしまう。これがバイアスの怖さです。

——なぜそういった思い込みが起きやすいのでしょうか。

人は誰でも、自分の経験や価値観というフィルターを通して物事を解釈します。そのフィルターは無意識に働くので、自分では気づきにくい。だからこそ厄介なんです。

特に注意が必要なのは、誰かの活躍や失敗の原因を、環境の問題ではなくすべて個人の特性に結びつけてしまう傾向です。「あの人は能力が低い」「やる気がない」と判断した瞬間、本当は環境側に問題があった可能性が見えなくなってしまいかねません。

能力が低いと思い込まれた部下は、上司の期待に応えようとする意欲を失い、実際にパフォーマンスを下げてしまうゴーレム効果に陥ることもあります。このように、無意識のバイアスが組織の負の連鎖を生んでいるケースは少なくありません。

ただ、こうした知識を持つだけでも、マネージャーの振る舞いは変わります。「自分の見方が相手のパフォーマンスに影響するかもしれない」と意識するだけで、接し方が慎重になる。

バイアスの存在を知ることは、偏った見方を減らし、視野を広げることに直結します。心理学を学ぶ入口としても、まずここから始めるのが現実的だと思っています。

——バイアスの影響を最小限にするために、人事が持つべき視点とは何でしょうか。

大前提として、バイアスは誰にでもある認知の癖なので、完全になくすことはできません。大事なのは、「自分はバイアスを持っている」という前提で判断する習慣を持つことです。

そのうえで有効なのが、組織で起きていることを「システム全体」として眺める視点です。

心理学のアプローチの1つとして、目に見えない要素を可視化・要素化して、何が原因で何が結果かという因果関係を明らかにすることがあります。問題が起きたとき、それが個人の特性によるものなのか、配置や上司といった環境要因なのか。個人要因と環境要因をフラットに並べて比較し、どれがもっとも影響しているかを検証するという発想です。

この習慣が、人事の仕事を勘から再現性のある技術へと変える土台になるんです。

サーベイの数値をきっかけに、現場と対話をする

——可視化という点では、昨今はエンゲージメントサーベイなどのツールを導入する企業も増えています。こうした仕組みを活かすコツはありますか。

一番の落とし穴は、サーベイを単なる点数付けの道具にしてしまうことです。特によくないのが、トップダウンで一方的に導入し、現場に回答を強制するパターン。これでは現場の納得感は得られず、「エンゲージメントサーベイに対するエンゲージメントが低い」という皮肉な状況に陥ってしまいます。笑えない話ですが、よく見る光景です。

サーベイは本来、数値を集めるものではなく、組織の状態を現場と一緒に読み解くためのツールです。

数値の推移に一喜一憂するのではなく、なぜこの数値を測るのか、結果をどう使うのかを丁寧に説明して、現場の人が「これは自分たちのためにある」と感じられるように対話を重ねる。そのプロセスなしには、どんなツールも機能しません。これはツールに限らず、すべての施策がそうですね。

——ツールを導入して終わりにせず、対話のきっかけにするということですね。ただ、ツールが弾き出した数値をどう読み解くかという、人事の力量も問われそうです。

ツールが出した結果をただ受け入れるのではなく、「その統計の取り方に意味があるのか」「本当に測りたいものが測れているのか」というリテラシーを学ぶことも不可欠です。

例えば、「満足度調査で1〜4点の回答を得て、平均値を出す」といったよく行われる集計1つとっても、「その算出方法で現場の実態を正しく捉えられているのか」と立ち止まって考える必要があります。実際はこの測り方の場合、平均値を出すこと自体にはあまり意味がなく、分布(1〜4それぞれに何人回答したのか)を見て傾向を判断する必要があります。

心理学の基本は、やる気や能力といった目に見えない概念を科学的に数値化し、妥当性のあるデータとして測定することを追求する学問です。測定の方法論や統計の読み方といったリテラシーを身につけることは、人事の施策を「なんとなく」の経験則から「根拠のある方法」へと進化させる武器になります。

単にツールを運用するだけでなく、そのデータが導き出されたプロセスまで深く洞察する。そうして得られた確かな根拠を持って現場と向き合うことが、人事の専門性の核心ではないでしょうか。

——こうした心理学の視点は、人材育成や評価といった人事の日常業務にも応用できるのでしょうか。

人材育成で言えば、評価制度の設計がそのまま心理学的な行為です。コミュニケーション力や問題解決力といった能力(コンピテンシー)を、どういう状態であれば「発揮できている」とみなすのか。その基準を行動レベルまで言語化するプロセスは、目に見えないものを測定しようとする心理学の方法論そのものです。

マネジメントについては、現場が特に課題を感じているテーマだと思います。人材不足でマネージャーの若年化が進み、それぞれが我流でやっているケースもある。自分がかつて受けてきたスタイルをそのまま部下に当てはめるだけでは、変化の速い今の現場には対応できません。

——マネージャーの我流に頼らず、組織としてマネジメントの質を揃えるには何が必要でしょうか。

まず、「リーダーシップとは何か」という定義の共通認識を作ることです。学術的には、リーダーシップはフォロワーがいて初めて発揮されるものという定義があります。

フォロワーが不在の場所にはリーダーシップも存在し得ない、といった前提を共有しないと、全員がバラバラな「自分流のリーダーシップ論」で動くことになってしまいます。

そのうえで、自社のマネジメントポリシーを明文化することも大切です。「当社はこういうリーダーシップを発揮し、こういう育成をしていくのだ」と言語化して共有する。

マネジメントというのは、意外と体系的に習う機会がないものですよね。だからこそ、多くのマネージャーが「これでいいのか」と不安を抱えながら、自己流で戦わざるを得ない現実があります。

組織として「自社の正解」をあらかじめ定めておくことは、マネージャーの迷いを減らすことにつながります。それだけでも、マネジメントの質のムラは、かなり抑えられるのではないでしょうか。加えてその内容が、その会社独自の偏ったものではなく、理論的にも説得力のある有効な内容になっていることが目指されますね。

多様性の衝突を成長に変えるための「内省の技術」

——価値観が多様化する組織運営において、心理学的な視点はどのように活きてくるのでしょうか。

今後、働き方や人材の多様化がさらに進む中で、自分とは違う考え方の人とどう仕事をしていくかは、避けて通れない課題になります。

多様な人がいればいるほど、価値観の衝突は避けられません。そのとき感情に支配されるのではなく、「なぜ自分は今、腹が立ったのか」「自分のどんな固定観念が反応したのか」と一歩引いて振り返る。

心理学は、そうした内省の技術を提供できる学問でもあります。自分の許容範囲を少しずつ広げていくためのツールとして、人事が率先して学ぶ意義は大きいと感じています。

——個人の内省だけでなく、配置や採用要件といった組織全体の設計にも活きてきそうですね。

そうですね。例えば、現場から「自分たちと似た、ガッツのある人だけ採用してくれ」という要件を言われたとします。そのときに、「今はスピード重視だから似た者同士がいいかもしれませんが、中長期的には多様性も必要ですよ」と、組織全体を見渡して提案できるかどうか。

最適なチーム構成に画一的な正解はありません。性格の組み合わせ、チームの目的、業界や組織のフェーズなどによって「何が最適か」は変わります。多様性を高めれば発想は豊かになりますが、ぶつかりやすく意思決定が遅くなりますし、同質性を高めれば動きは速くなる半面、視野が狭まっていきます。どちらが良いかは状況次第で、試しながら調整していくしかない部分が大きいんです。ちなみに、ぶつかることも悪いことではなく、むしろ創造的なイノベーションを起こすには、意見の対立は不可欠だと思います。

だからこそ、人事が「これが正解です」と断言するのではなく、現場と一緒に考えるパートナーとして動けるかどうかが力量を分けると思います。

——心理学を組織に取り入れようとするとき、何から始めるといいでしょうか。

ポイントは、現場で心理学という言葉を安易に使わないことです。いきなり「心理学を勉強したのでこれを導入しましょう」と言い出すと、現場は戸惑ってしまうでしょう。

大事なのは、現場の具体的な困りごとから話を始めることです。「若手がどんどん辞めていくのはなぜか」「育成のやり方がマネージャーによってバラバラなのをどう解消するか」といった目の前の課題に寄り添い、解決策を提案する。その施策の背景に、心理学的エビデンスがある、という状態が理想的です。

人事の仕事は、向き合う相手が人間である限り、どこを切っても心理学と切り離せません。心理学の理論を鵜呑みにするのではなく、ぜひ「自社の現場で試したらどうなるか」という仮説検証の精神を持って取り組んでみてください。

その泥臭い試行錯誤の積み重ねこそが、人事の仕事を「再現性のある技術」へと進化させていくはずです。

※記載されている情報はインタビュー当時のものです。

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