
Unipos代表が300時間かけて2325社の人的資本情報を分析「開示充実度は“とても低い”」
2023.10.18
企業価値を判断する1つの指針として重要度が高まっている人的資本情報。2023年3月期以降の決算から人的資本情報を有価証券報告書に記載することが義務付けられるようになり、多くの企業で開示に向けた準備や、人的資本経営の推進に取り組んでいる。こうした中、すでに決算を迎えた企業はどのような情報開示を行ったのだろうか。
人的資本経営について研究し、情報発信しているUnipos 代表取締役社長CEOの田中弦が、2023年3月決算の2325社の有価証券報告書を分析し、人的資本経営の最前線を紐解く。
Profile

田中弦
Unipos 代表取締役社長CEO
1999年にソフトバンク株式会社のインターネット部門採用第一期生としてインターネット産業黎明期を経験。その後ネットイヤーグループ、コーポレートディレクションを経て、2005年ネットエイジグループ(現ユナイテッド社)執行役員。モバイル広告代理店事業を立ち上げ後、2005年アドテクとインターネット広告代理店のFringe81株式会社を創業。代表取締役に就任。2013年3月マネジメントバイアウトにより独立。2017年8月に東証マザーズへ上場。2017年に社内人事制度「発⾒⼤賞」から着想を得たUniposのサービスを開始。2021年10月に社名変更し、Unipos株式会社 代表取締役社長として感情報酬の社会実装に取り組む。2023年より日本企業957社すべての統合報告書を読み、人的資本経営や開示手法について研究・発言をしている。ITmediaにて人的資本に関する記事を連載中。
開示された人的資本情報から読み解く日本企業の現状
金融庁のガイドラインで、人材育成方針と社内環境整備方針について、「戦略」「指標」「目標」を全企業が開示することが義務づけられた。これを受け、2023年3月決算から有価証券報告書に人的資本情報の開示が必須となった。公表された2325社の有価証券報告書からは、どのような傾向が見られたのだろうか。
「公開された有価証券報告書を独自に調査した結果、日本全体の開示充実度は6段階評価のうち1.91。『とても低い』という印象でした。女性活躍や男性育休の会議、有給取得率など比較可能指標のみを開示している企業が約半数あり、社会環境整備などについては開示情報から読み取れない企業が多くありました。
また、エンゲージメントスコアを開示している企業は、社員満足度調査の結果を開示している企業を含めてもわずか12%でした。ほかにも、明確な目標を掲げずに『注力する』という表現を用いているなど、人に対してどういう考え方をしている企業なのかが説明不足の企業も多かったです」(田中)
多くの企業で人的資本経営に十分な対応ができてない現状が明らかになった、というわけだ。
人的資本経営の全体像を描くフレームワーク
では、各企業がこうした現状を変え、人的資本経営を本当の意味で推進していくためには、何をするべきなのか。「人的資本経営について経営会議で議論する際の参考にしてもらいたい」と田中が紹介したのが、次のフレームワークだ。
「理想や大義があって、その実現にあたってはギャップとなる課題がある。その課題を解決するのは人です。その人に投資するためのインプット・アクションがあって、それに応じてKPIもアウトプット変わってきますし、その先にアウトカムがある。人的資本開示を議論するためには、『現状の課題は何か』『それに対してどういう施策をするのか』『課題が解決されることでどういうアウトプットができるのか』『その先にどんなアウトカムを得られるのか』という順番で議論を深めていくのが良いと思います」(田中)
人的資本情報を開示した企業では、どのように人的資本戦略の全体像を描いていたのか。
たとえば、unerryが開示した情報では、人材確保と生産性向上という課題を解決するために、人的資本戦略の柱となる4つのテーマを設定。各アクションに対してeNPSや専門職比率、賞賛指数、助け合い指標をKPIとして設定。これらを達成することによって企業価値最大化を実現している。
また、PKSHA Technologyでは、ミッション実現と業績成長を達成するために、AIの社会実装にともなう課題と自社の成長機会を整理し、現状に即した独自のインプットを行い、KPIを設定。その先にどのような事業成長を目指していくかといった人的資本投資の考え方を開示している。
このほか、開示情報がわかりやすかった企業の1つが、キリンホールディングスだ。経営課題に対して、「人財強化」「組織風土」という2つのテーマで人財戦略の重点取り組みを設定。さらに、課題や施策と対になるように人的資本開示指標を設定している。比較可能指標だけではなく独自性項目を設定することで自社ならではの人材に対する考え方を開示している点は、多くの企業にとって参考になるはずだ。
人的資本経営の主役は「会社」ではなく「社員」
自社の人的資本経営をわかりやすく開示する企業がある一方で、「開示された各企業の人的資本情報を読み解いていくと、人的資本経営に対して混乱が発生しているのではないかと思う」と田中は語る。
「たとえば、『TOEIC何点以上にする』『集合研修をこれだけやっている』という情報を開示している企業が結構多かったのですが、これは会社が主役であり、強制的に社員にスキルを身につけさせるという考え方だといえます。
そもそも人的資本は会社の持ち物ではなく、本来は社員個人の持ち物です。社員が主体的に『この会社ではこういう人的資本、ノウハウやスキルを身につけて貢献しよう』と思える環境があることが、本来の人的資本の考え方だと思います。
つまり、これからの経営は社員一人ひとりが主役になるべきであり、人的資本経営とは個人の多様な人的資本を組み合わせて活かし、組織的人的資本に変える経営のこと。そして、主体的な社員を多く生み出し、組織的人的資本を生み出すためには、社員が組織に愛着を持つことが重要だと考えています」(田中)
社員を主役に置いた人的資本経営に取り組んでいることがわかりやすかったのが、DEUTSCHE TELEKOMの開示情報だ。従業員が自発的に提出したアイデア数とコスト削減額を開示し、個人の人的資本を組織の人的資本につなげている。
「アイデアマネジメントという仕組みは従業員の革新的な潜在能力であり、個人の人的資本です。それをグループのために活用することで組織の人的資本に変えていく。これによってイノベーションの風土が生まれ、カルチャーに良い影響を与え、雇用と株価を守る役割を果たしているという考え方です。
この開示には単に施策を紹介するだけでなく、『我々は素晴らしい会社になるんだ』というDEUTSCHE TELEKOMの強い意思を感じます。説得力もあり、理想的なコミュニケーションだと思います」(田中)
こうした最新の開示事例をふまえて、前述の人的資本経営の考え方をさらに進化させたのが次のフレームワークだ。
これまでのフレームワークでは、具体的なアクションやインプットの部分で「会社」が主語となっていた。たとえば、「人にこのくらいの投資をする」「人事制度を変える」などだ。
これに対して、アップデートしたバージョンでは本来の人的資本経営に立ち戻り、①個人能力を引き出す施策への投資と②カルチャー・集団への投資(個人の人的資本が最大限発揮させる土台構築のため)という2種類の投資を行うことで、組織的人的資本が創出されるという「従業員が主役の」考え方へと進化している。
経営戦略と人事戦略をどう結びつけるか
人的資本経営に取り組む企業のなかには、経営戦略と人事戦略をいかに結びつけるかについて悩んでいる企業も多いだろう。大事なのは、比較可能指標の開示だけではなく、独自開示の活用による「価値創造」ストーリーを提示すること。その1つの方法が、エンゲージメントサーベイを戦略実行の確かなストーリーとして使うことだ。この事例は欧米企業から多くの気づきを得られる。
たとえば、欧米と日本ではエンゲージメントサーベイ開示の表現の仕方が大きく異なる。日本では主語が「会社」で、「我が社のエンゲージメントスコアは4.2でした」「我が社は○○で表彰されました」といった開示が多い。これに対して、欧米の企業では主語が「従業員」で、「従業員の85%はこう思っています」というコミュニケーションをしている企業が多い。
「多くの日本企業の開示はストーリー接続がなく、自社自慢に留まっているのに対して、欧米企業では戦略を実行するのは人であり、その人たちがいきいきと実行していることをストーリーで示しています。『従業員は〜と思っている』という開示をすることで、『心理的安全性が高く、自分の考えを自由に発言出来る環境があると感じている社員が我々の組織にはたくさんいる』ということを伝えることができます」(田中)
日本でもこのように従業員を主語にしてエンゲージメントサーベイを開示している企業がある。
たとえば、双日では「社員の多様な価値や経験を認め、受け入れていると思う人が87%」「新たな発想の実現に取り組みたい人が96%」というように、多様性と自律性を備える「個」の集団を活かすためのKPIを多数開示。こうした開示情報から、双日が新規事業を積極的に生み出している企業であることが読み取れる。
「事業の成長を証明しているわけではありませんが、成功の確率を高める社員がたくさんいる、だから企業価値が高まるというストーリーを組み立てていることが、新しい切り口だと思います」(田中)
また、ダイバーシティの開示情報がわかりやすかったのがマネーフォワードだ。女性管理職比率を追っている企業は多いが、実際に目標数値にはまだ届いていない企業がほとんどだろう。こうしたなかでマネーフォーワードでは女性管理職比率というKGIではなく、中間KPIを開示。たとえば、社員に「管理職や今よりも大きな責任を負う業務をオファーされたら、やってみたいと思いますか?」と質問し、その結果を開示している。
「気持ちが『レディ』になっているかという中間KPIを開示することで、『社内の打ち手・コミュニケーション』と『対外コミュニケーション』の一貫性、整合性を取っています。中間KPIを出すことで目標達成までの道のりがより具体的になり、非常にわかりやすい開示だと思います」(田中)
心理的安全性に関して興味深い開示をしていたのが、スギホールディングスだ。同社では現場の悩みを相談できる内部通報制度を整え、心理的安全性を高めることで重大事故が起こりにくい環境を整備。さらに、ワークエンゲージメントが高い社員は仕事の成果が約10%高くなるという関係性を明らかにした。
こうした取り組みによって離職率は下がり、売上は向上。人に投資をすることで企業価値が高まっていることが明らかとなり、人的資本経営の好事例だといえる。
店舗設備などの有形投資より人的資本投資をしたほうが投資効率が高いことを明らかにしたのが、丸井グループだ。開示情報によれば、5年間で320億円の人的資本投資を行ったところ、10年で限界利益560億円を創出したという。
「人に投資をすることが企業成長の勝利の方程式であると宣言しているようなもの。これはとても面白いと感じました」(田中)
職場の推奨度を数値化するeNPSの推移開示で興味深いのが、北国フィナンシャルホールディングスだ。「会社のことを家族や知人にどのくらいすすめたいか」という質問に対して、推奨者、中立者、批判者の推移を開示しており、批判者が年々少なくなっていることを示している。
会社が大きな転換期を迎えるなかで「人がついてきている」ことを示すことで、企業価値を伝えている好例だ。
日本企業の最後の伸び代は「人」への投資
ここまで紹介した企業の開示事例から明らかなように、人的資本経営で大切なのは、個人を成長させながらカルチャーや集団に投資して、個人がもっと輝く経営をしていくこと。それが人的資本経営の最前線だといえる。
しかし、カルチャーを変えることは簡単なことではない。
「経営陣や人事が頑張るだけでは現場のカルチャーは変わりません。カルチャーを変えるとは、社員一人ひとりの当たり前の基準が変わり、今よりも一歩上の行動ができるようになることです。そのためには、ほかの人のすてきな仕事ぶりや考え方を発見することが大切だと思います。そうして高めた個人の人的資本を組織の人的資本に変えていくことが、人的資本経営の推進につながると考えています。
私は日本企業の最後の伸び代は、『人』への投資だと思っています。開示された企業の事例を参考にしながら、自社にあった人的資本経営に取り組んでいってもらえればと思います」(田中)
▼フレームワーク公開と無償提供についてのお知らせ
本記事で紹介した「人的資本経営フレームワーク2.0」について、微修正を加えた上、「人的資本経営フレームワーク(田中弦モデル)」としてクリエイティブコモンズライセンスにて無償提供、商用利用も可能とすることにいたしました。
アップデートしたフレームワークや利用方法、作成の背景などは下記リンクからご確認ください。
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