多くの経営者が見落としている?「日本的経営」と「人的資本経営」の違いを解説
2024.05.31
人事・組織をテーマにした話題の書籍の著者にインタビューし、理解をさらに深めていく連載企画「ウワサの人事・組織本」。第7回目は、『図解 人的資本経営 50の問いに答えるだけで「理想の組織」が実現できる』を取り上げる。著者であり、戦略・組織/人事コンサルティング会社の共同経営者を務める岡田幸士氏に多くの経営者が見落としている人的資本経営の本質と導入する意義、そして、これからの人事担当者が持つべきスキルセットを伺った。
Profile

岡田幸士 氏
ルヴィアコンサルティング株式会社 共同経営者
神戸大学 金井ゼミで組織行動論を学び、日本マクドナルドで人事を経験。16万人の社員・アルバイトの人材マネジメントに携わる。その後、デロイトの組織・人事コンサルティング部門に移り、2年で全社トップ3%の評価を受ける。2020年に独立して現職。これまで大企業からベンチャー企業まで、様々な企業のサポートを手がけており、クライアント企業の売上規模累計は60兆円を超える。著書に『最強組織をつくる人事変革の教科書』(共著)
人的資本経営がもたらす「4方良しサイクル」
――2023年に人的資本の情報開示が義務化されました。そもそも、岡田さんは「人的資本経営」をどのようなものと捉えていますか?
私なりの解釈では「企業としての自分探しの旅」だと考えています。
「人的資本経営」という言葉は、2020年に経済産業省が公開した通称「人材版伊藤レポート」を皮切りに広がりはじめました。こうしたレポートでは、人的資本は価値創造の源泉に位置づけられるべき、効果的な人的投資を行うべきということが説かれています。
ただ、当時は漠然としたイメージが強く、私自身も正直なところ「何をすべきなのか」を人に説明できない状態でした。何とか理解したいと思い、「人的資本経営」と名が付く書籍・文献はもちろん、1950年代以降に書かれた人材マネジメント・人事に関する200近い書籍・文献を読み漁ったと記憶しています。
その中で1つ見えてきたことがありました。「人と組織を強くする」ためにやるべき事は、昔から大きく変わっているわけではなく「自社として、人と組織としてありたい姿を決める」「ありたい姿を実現するために、自社に適した取り組みを決める」という2つに集約されるのです。まさに企業としての自分探しです。
企業として経営戦略を実現するための「人と組織のビジョン」を決めて、その実現に向けて、人材の価値観の変化も見据えながら「人事戦略」をつくる。本書では、「50の問い」を通じて、こうしたビジョンと人事戦略を考えていくような内容としています。そして、このビジョン・人事戦略を論理的な裏付けと数値的な根拠を持って語れるようになること。これが人的資本経営だと考えています。

――「人的資本経営」は、実際にビジネスの現場に浸透してきているのでしょうか。
企業規模や上場/非上場によって温度差があると言うのが正直なところです。上場企業では、人的資本の開示が2023年に義務化されたことから、かなり意識が高まっており、「経営戦略と人事戦略の紐付けはどうやると良いですか?」「開示する人的指標は何が良いですか?」という具体的な質問をいただく事がほとんどです。
一方で、中小企業などではまだ浸透しているとは言いがたい状況です。実際、フォーバルGDXリサーチ研究所が発表した人的資本経営に関する認知度調査に基づくと、中小企業の3割が「知らない」、4割が「聞いたことがあるが、よく知らない」、2割が「知っているが、説明できるほどではない」という結果でした。
こうした状態は非常にもったいないと思います。人的資本経営を理解して取り組みを行うことはもちろん、その結果を把握して開示することは、上場/非上場や規模に関わらずメリットがあるのです。
――では改めて、人的資本経営や開示を実践する意義を教えてください。
最大の意義は「4方良しサイクル」が実現できるということです。ここでいう「4方」とは経営者、株主(投資家)、人材、顧客を指しており、以下のような良好なサイクルが生まれます。
①「人と組織としてありたい姿」実現に向けて、人材への適切な投資(取り組み)を行うことで、人材の確保や意欲の向上につながる
②顧客への提供価値が上がり、顧客満足や売上の向上につながる(経営戦略の実現後押し)
③人的資本経営の結果をきちんと把握することで、経営者としても人材に対する投資判断(①)の精度を高めることができる
④株主や社内外の人材(採用候補者含む)に対して、人材に対する投資(取り組み)や結果を開示することで賛同を得ることができる
②で得られた収益や、④で得られた株主・投資家からの賛同(株価の上昇など)は、次の人材投資への原資となるのです。

特に、近年は人を含む“見えない資本”をどう活用していくか、が競争力を高めていく上で重要とされています。実際に、人的資本は企業成長に影響を与えていると考える機関投資家は86%も存在しています。人に対する投資を適切に行っていれば、株価としてもポジティブな反応が見込まれるだけでなく、企業としての成長の原動力となるのです。
また、上場/非上場にかかわらず、人への投資結果を把握して、PDCAサイクルを回していくことは重要なことです。更にそうした取り組みと結果を社内外人材に開示してアピールすると、会社としての魅力付けや採用力の強化にも繋がります。実は、パーソル総合研究所の調査に基づくと、「人的資本情報の開示に関して重視する要素」の1位は「優秀人材の採用実績の増加」なのです。次いで、「役員層の意識変革」「従業員エンゲージメント」などが並び、6番目にやっと「株価への反映」が来るのです。
例えば、北海道で歯科を営む「さいわいデンタルクリニック」(従業員約30名)では、People Fact Bookという冊子を社内外に開示しています。この冊子では、目指す職場環境と風土やエンゲージメント向上施策、人材開発・研修の総費用など、様々な情報を公表しています。非上場で小規模の企業でも、こうした人的資本の開示を通じて人材の確保や維持に繋げているのです。
地方の会社などでは人的資本経営や開示で「株価を上げる」とか「業績向上」と言われてもピンとこないことも多いかと思います。そうではなく、「その地域で誇れる会社をつくる」ということに主眼を当てても良いかと思います。人的資本経営や開示によって、従業員やその家族、その友人、地域の方、取引先などに「良い会社だね」と認めてもらえる会社になる。こうしたことも人的資本経営や開示に取り組む意義なのではないでしょうか。
「人情」と「理性」の両立が人的資本経営の肝
――これまでにも「人材を大切にしましょう」といった標語を掲げる企業は少なからずありました。そういった従来の「日本的な経営」と「人的資本経営」に違いはあるのでしょうか?
確かに似ている部分はありますね。実際、経営者の74%が人的資本経営=これまでの人を大切にする経営と捉えているようです。簡単に説明すると、「人を大切にする経営」は「人情」によるマネジメント、「人的資本経営」は「人情+理性」のマネジメントという違いがあります。

古くからの日本的経営を行う企業では「人材を宝や家族として扱ってきた」という自負があるように思います。例えば、パフォーマンスがどうしても上がらない管理職がいたときに、皆さんの会社ではどうするでしょう?合理的に考えれば、降格させてより優秀な人材に変えていくべきです。でも、そうした選択をしてきた企業は恐らく少ないのではないでしょうか。「その人の心情を考えると……」「最近お子さんもできて大変だろうし……」と、人情を優先させた決断をしてきたのではないでしょうか。もちろん、「人情」も重要なのですが、優しさばかりが優先されてしまうと、人も組織も弱っていきます。甘やかされすぎた子供が自立できなくなってしまうのと同じです。
一方「人的資本経営」はそこに「理性」を持ち込みます。人的資本経営では、人材を投資対象だと捉えています。投資をされた経験がある方はお分かりの通り、投資を行う際には、投資対象の特徴・特性やリスク、リターンを見極めて、慎重な判断をされるかと思います。このような投資家目線で冷静かつ合理的な判断を行う。「投資をしようとしている人的資本というのはどのような特性・特徴があるのか?」「投資をすることでどんなリスク・リターンがあるのか?」。人的資本経営ではこうした理性を働かせた投資を行うことで、人や組織を効果的に強くしていくのです。
ただし、「理性」一辺倒では、いずれ組織が立ち行かなくなります。合理性を求めすぎると、従業員のモチベーションの低下を招いたり、経営者と従業員との間に軋轢が生まれたりしてしまうからです。例えば、先ほど挙げた「パフォーマンスが上がらない管理職」の例でも、無慈悲になんの配慮もなく降格させてしまうと何が起きるか。恐らく、対象となった方だけではなく周囲の人も「次は自分ではないか」「この会社は人を駒だと思っているのか」というネガティブな感情が広がっていくでしょう。その結果、組織の力を弱めてしまう結果になりかねません。ゆえに「人情」と「理性」の両輪で組織を回すことが大切であり、それが人的資本経営の推進力になるのです。
人事は「5つの力」を持って、自己否定し続ける
――「人的資本経営」実現のためには、人事担当者の担う役割や責任も大きくなりそうですね。
おっしゃる通りです。これまで当たり前に行ってきた人事の取り組みに対して「なぜ?」が突きつけられてくるのです。経営者、事業側、従業員といった内部のステークホルダーだけでなく、株主、社外の人材、地域の方、取引先などからの問いに、論理とデータを用いて答えられるようになる。確かに人事として責任としては重たくなるのですが、「良い会社づくりに携わる」という意味では、より面白いものになっていくのではないでしょうか。
一方で、自身として危惧しているのは、人的資本経営や開示によって「他社に目が行きがち」な状況がつくり出されているのではないか、ということです。各社の人事へ訪問した際に「他社はどうしていますか?」という質問を受ける割合が増えてきた感覚があります。特に人的資本の開示の対象となっている上場企業でその傾向が顕著のように感じます。先ほど挙げたパーソル総合研究所の調査でも、「人的資本情報の開示に関して重視する要素」の2位が「他社の動向」となっているのがその現れかと思います。
自社の課題と向き合えていれば「人材のエンゲージメントをどのように高めるか」「柔軟な働き方をどのように提供するか」といった、より己に目を向けた質問になると思います。そこで、他社事例や成功モデルに意識がいってしまうのはなぜか。1つ考えられるのは、「自社としての、人と組織としてありたい姿」が描けていないことです。ありたい姿を持っていれば、そこに向けて「何が足りていないのか」という点に意識が向くわけです。言うまでもなく、他社事例や成功モデルは、その会社のその状況における結果論にしかすぎません。参考情報としては使えるかと思いますが、最後は人事として、自社の経営戦略や置かれている状況に即した形で、「ありたい姿」を描き、その実現に向けて「自社としての取り組み」を決めていかなければなりません。

――そうした人事になるためには今後、人事担当者としてどのようなスキルが求められるのでしょうか?
まず、「ビジネスに関する知見」が求められます。これは自社が関わるビジネスの外部環境や、自社の競争優位性、提供価値を理解し、事業を成功させるために必要な道筋を立てる力のことです。目標を実現するにあたって、自社の人・組織・リーダーがどのような状態にあるのかを把握する「人・組織に関する知見」も求められます。この2つの知見を養うことで、経営と人事の橋渡し役を担うことができます。
加えて、「情報を活用する力」「協働を促進する力」も欠かせません。社会の変化など、外部環境を察知し、データを用いた意思決定を行う。それを実現するためには、実際に人を動かしていかねばならない。そのための人間関係を構築していくことは、人事担当者としては必須のスキルです。
また、「複雑性を単純化する力」も欠かせません。どこに焦点を当て、何をすべきかを明確にする思考力は、複雑に絡み合う課題と向き合うために有効です。
なお、ここで説明した5つの力は、私個人の思いつきで挙げたものではありません。人事パーソンに対する大規模なグローバル調査に基づき、「成果を創出する人事の特徴」として洗い出された要素であり、きちんと裏付けされたものです。

――一方でマインドとしてはどういったものが必要でしょうか?
自己否定し続けるマインドかと思います。自身として「合理的な意志決定をした」と思っても、少し時間をおいて考えてみると「全然イケていない」ことが分かる。人事以外の仕事にも当てはまると思いますが、こうした経験をされた方は多くあると思います。いわゆる「限定合理性」というものです。自身の知識や認知などに限界があるため、結局生み出される思考には何らかの瑕疵が生まれるのです。
こうした限定合理性から脱却する1つの方法としては、「話したことがない人と話す」機会を多くつくることです。私も元人事なのでよく分かるのですが、人事はどちらかというと自分たちの世界の中で生活しがちです。同じ会社の人事部の同僚や仕事関係者、せいぜい他社の人事の方との交流止まりです。そうなると、どんどん「限定合理性」の罠にとらわれて、適切な意志決定から遠くなっていきます。ゆえに、自分の知らない世界に直接触れて、自分の中にない価値観を取り入れる。例えば、別の産業に携わる人、年齢や生まれた場所が異なる人など、自身と違う属性の人と話せば、自身の凝り固まった思考からの脱却を助けてくれるはずです。
自分の当たり前から抜け出ることで成長していく。これは、人的資本経営にも通じる考え方です。
人間は、当たり前・快適と感じる“コンフォートゾーン”に留ってしまいがちです。しかしそこに成長はありません。そこで「問い」の力を借りるのです。「問い」というのは、思考を深め、既成概念を打ち破る効果があると言われています。良質な「問い」の設定を通じて、人と組織を成長させていくための新たなへ姿と取り組みを考えていく。人的資本経営の本質とは、現在の自分(自社)の姿を是とするのではなく、新たな問いに向き合い続け、組織として一歩前に踏み出すことを続けていく旅なのだと思います。
※記載されている情報はインタビュー当時のものです。
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