【後編】先行事例から導き出した!推し開示と議論のためのフレームワーク

金融庁は1月31日、来期から全ての上場企業に人的資本についての開示を義務づける方針を打ち出した。人的資本経営への関心が高まっているとは言え、プライム市場からグロース市場まで企業の規模を問わず、しかも来期からの義務付けという突然の方針決定に悲鳴を上げている経営者や開示担当者は多いはずだ。

そこで人的資本経営や開示手法について研究・発言をしている Unipos代表取締役社長CEO 田中弦がおそらく国内で初めて、日本企業957社が発行している統合報告書、ディスクロージャー誌、CSRレポートを150時間以上かけて全て分析。独自の基準で付けた「人的資本開示格付け」と、参考にするべき具体的な企業名、正しい開示を導く新たなフレームワークを指南する。人的資本開示への対応は、これさえ読めば万全だ。

Profile

田中弦

Unipos 代表取締役社長CEO

 

1999年にソフトバンク株式会社のインターネット部門採用第一期生としてインターネット産業黎明期を経験。その後ネットイヤーグループ、コーポレートディレクションを経て、

2005年ネットエイジグループ(現ユナイテッド社)執行役員。モバイル広告代理店事業を立ち上げ後、2005年アドテクとインターネット広告代理店のFringe81株式会社を創業。代表取締役に就任。2013年3月マネジメントバイアウトにより独立。2017年8月に東証マザーズへ上場。

2017年に社内人事制度「発⾒⼤賞」から着想を得たUniposのサービスを開始。2021年10月に社名変更し、Unipos株式会社 代表取締役社長として感情報酬の社会実装に取り組む。2023年より日本企業957社すべての統合報告書を読み、人的資本経営や開示手法について研究・発言をしている。ITmediaにて人的資本に関する記事を連載中。

「心理的安全性を高める リーダーの声かけベスト100(ダイヤモンド社)」著者。

人的資本開示充実度・最高位「5」はわずか37社

―――統合報告書等の開示は957社で全体の24%以下。格付け「5」はさらにその中の4%未満だった。

上場企業3857社のうち、統合報告書、ディスクロージャー誌、CSRレポートを出している企業は957社あり、私は2022~23年の年末年始にこれを読み込んだ。何らかの人的資本の開示をしているのは上場企業全体の24%以下という計算だ。1社10分としても150時間かかる計算で、まさに年末年始を全てそれに捧げたという状態だった。

その上で、人的資本についての開示の充実度を5段階で格付けした。

ここからの記事を読むうえでご理解いただきたいのが、これから紹介する事例は全て義務付けされる前の先行事例であるという点だ。「現時点で開示はできていないが来期に向けて準備をしている」という企業は当然逃してしまっていることはご了承いただけると幸いだ。

「人的資本開示が全然ダメだ」と責めるというわけではなく、皆さんと先行事例から学び、義務化の来期に向けてより良い人的資本開示をともに作っていきたいと考えている。

格付けスコアを左右したのは「目標設定」

―――満点は指標が充実し、中期経営計画のストーリーと連動し、ネガティブな課題まで記載している開示

5段階の基準はあくまで私が独自に決めたものだ。最も低い「1」は「目標設定がない、またはほぼ開示なし」という段階。そこに取り組み一覧や一般的指標の開示が加わると「2」、さらに独自の取り組み等が加わると「3」と上がっていく。

「4」は目標設定があり、比較可能指標と独自指標がともに充実した状態だ。満点の「5」は、それら全てを満たした上で、中期経営計画のストーリーと連動してネガティブ面を含む課題まで記載している開示だ。「4」は148社だったので、「5」と合わせても185社、上場企業全体の4%にとどまる。

業種別で見ると、やはり装置産業や、不動産業、鉱業、規制産業などの格付けは低い傾向にあった。例えば不動産であれば、人が富を生むというよりも土地が富を生むという意識になりがちであるということが背景にあるのではないだろうか。

一方で、やはり本当に人が命だという産業は比較的高めなスコアだったと感じる。例えば医薬品などは開示の充実度が高い。発明や新薬創造などに人のパワーが重要になってくることが関係しているのでないかと推測できる。

規模別で言うと、やはり大企業中心のプライム市場に高い格付けが集中した。一方で、スタンダード市場はほとんど充実度を満たしていないことがわかった。

参考にしたい「推し開示」。最高の開示は丸井グループ

―――人的資本開示は余裕のある企業がやるもの、ではない。経営危機で理想とのギャップたたきつけられた丸井

日本企業が格付け「5」の開示になるにはどうすればいいのか。それでは、格付けが「5」だった37社の中でも、特にこの企業を参考にしてほしいと感じた私の「推し開示」をご紹介する。みなさんの人的資本開示に必ず役立つはずだ。

私が最高の人的資本開示と感じたのは、丸井グループだ。「人的資本開示は業績がよくて余裕があるところがやっている」というイメージを持つ人は多いと思うが、丸井グループは10年前の経営危機をきっかけに開示に取り組み始めた。

もともとは、土地と建物が富を生むいわゆる百貨店型のビジネスを行っていた丸井グループ。しかし、経営危機をきっかけに、仕入れが発生しない賃貸型に変更することに。そのような「知的創造ビジネス」へのシフトチェンジに伴い、求める人材像も「オペレーションエクセレンス」を重視したものから「プロデュース能力と創造性を兼ね備えた人材」へと変化した。一方で、世間の印象は「小売業・労働集約型」のまま。「そのイメージを払しょくし、組織もビジネスも変わったのだということを知覚してもらいたい」という目的で、多くの独自指標を使用した開示を始めたのだという。「手上げ比率が82%」「職種変更をした人が77%」「異動後に成長を実感した人が86%」など、ユニークな独自指標を使いながら、ステークホルダーの知覚を変えたのが、丸井グループの開示のすごさである。

北国フィナンシャルホールディングスは、開示した「職場に対する推奨度(eNPSスコア)」が-52.4%とものすごく低い。こんなの開示して大丈夫なのかとギョッとしたほどだが、実は背景があって、海外撤退拠点などものすごく大きな体制変更を進めているという。スコアが下がるのは当然な状況にあって、それに対する打ち手を示した結果、翌年スコアが改善されていれば、「この企業、イケてるな」となるわけだ。

経営戦略と独自の指標がセットになっている開示は最強。

―――悪い数字を隠さず開示する日本板硝子。翌年以降の改善につながる

日本板硝子(NSG)の開示はすごいことを書いていた。「3分の1の社員が現在の会社のカルチャーやリーダーの行動様式に満足していない」・「会社の将来に対し楽観的になれずエンゲージメントが低下している」・「報酬が業界の基準より低い」など。正直、自分の会社でこれを開示できるかなと考えてしまうほど衝撃的な内容だ。でもここまで書けば次の年、数字が改善すれば「組織がよくなりました」と言える。

ツムラは従業員への理念浸透度という視点を重視していて、「対話指数」という独自の指標を開示している。経営戦略と独自指標がセットになっている開示は最強といえる。マンダムや伊藤忠テクノソリューションズ、双日も同様の特徴がある。

下記が、私の「推し開示」リストだ。私が優れていると感じたポイントとともに、ぜひみなさんが人的資本開示を作る際の参考にしてほしい。

課題は伸びしろ。理想とのギャップ隠さず克服への道筋を

―――課題がない会社など無い。「こんなことやっています」で終わらせてはいけない

様々な企業の開示を見ていくうちに、私の中で「こうやったら人的資本開示についてきちんと議論できる」という新しいフレームワークができたのでご紹介したい。経営陣やIR担当者、HRの方たちがこれを使って議論することで、いい開示を実現できるはずだ。

どんな会社にも理想や大義である、長期のパーパスやミッションがあり、中期経営計画もあるはずだ。一方、それらに対して、必ず現状というものがある。現状は、開示するとあまり好ましくないものかもしれない。そうした理想と現実のギャップが「課題」である。

その課題を克服するために、組織風土改革や後継者育成といったインプットを行う。そして、経営戦略のストーリーにひも付いた人的資本のKPIが現れて、それが年々改善していって、初めて課題の克服、事業成長といったアウトカムが出てくる。

先ほど格付けが「5」の開示には課題まで記載されていると書いたのはこのためだ。このフレームワークを使うことで、自社がそういう開示ができているかを話し合ってほしい。

私がいろんな開示を見ていて違和感を覚えたのは、今の日本の人的資本開示が、インプットの部分ばかりという点だ。「こんなことをやっています」で終わっていて、課題と目標がない開示が多い。

課題を公開することに抵抗を感じるかもしれないが、課題がない会社などないはずだ。

理想とのギャップを正しく認識し、課題を克服するためのアクションを明示し実行する。その成果が数値に現われ、さらに数値を開示することでステークホルダーの認知が変わる。前出の「推し開示」の例を見ればわかるように、「課題は伸びしろ」だ。これこそが、私が一番伝えたいメッセージである。

また、開示となると、つい「株主」だけに目線が行きがちであるが、人的資本開示は「社員」・「求職者」への約束でもあるということも忘れないでいただきたい。株主への約束にばかり気を取られると「良いところアピール」を実施したくなるが、課題を開示しないと、実態とは離れてしまう。そうした実態と離れた開示は社員のエンゲージメント低下を招いたり、求職者とのミスマッチを誘発したりすることに繋がる。そうした3者のステークホルダーの視点も踏まえたうえで、どんな課題を開示するのかを社内で議論することが必要になるだろう。

ここまで読んでいただいた皆様は、「人的資本開示は余裕のある会社がやるものだ」ということが誤解だと気付いたのではないだろうか。私は、「経営課題をしっかり解こうとする会社は、人的資本の開示がすごい」ということだと考えている。ぜひ先行事例や議論のフレームワークを活用して、人的資本経営実現のために有効な開示を目指していただきたい。

※前編はこちらから

※記載されている情報はインタビュー当時のものです。

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