【中外製薬】人事戦略で醸成!イノベーションが生まれる「挑戦する風土」

産業構造の変革に伴い、今、多くの企業は戦略の転換を求められている。製薬業界もその1つ。中外製薬株式会社は2021年2月に成長戦略「TOP I 2030」を策定・発表。本戦略では「世界最高水準の創薬の実現」「先進的事業モデルの構築」の2本柱を据えた。では、この戦略を実現するため、どのように人財をマネジメントしていくのか。同社上席執行役員 (人事、EHS推進統括、人事部担当)の矢野嘉行氏がその概略を解説する。

Profile

矢野 嘉行 氏

中外製薬株式会社 上席執行役員 (人事、EHS推進統括、人事部担当)

 

1986年 中外製薬株式会社入社。営業本部、国際本部、5年の海外駐在を経験したのち、経営企画部マネジャー、調査部長を歴任。2016年から人事部長となり、2019年に執行役員、2020年に人事統轄部門長を経て、現在は、上席執行役員 (人事、EHS推進統括、人事部担当)として活躍。

中外製薬の成長戦略「TOP I 2030」とは

6期連続増収増益で右肩上がりの成長を続けている中外製薬株式会社。そんな堅調な同社においても、新たな領域へのビジネス拡大はかねてからの課題だ。

同社は2019年に策定した3カ年中期経営計画の目標が2年間で達成できたことから3カ年の計画を1年間前倒し、2021年2月、成長戦略「TOP I 2030」を策定・発表。そこで「世界最高水準の創薬の実現」と「先進的事業モデルの構築」の2本柱を据えた。

さらに、研究開発型の製薬企業としての創薬力を向上させ、特にアンメット・メディカルニーズ(いまだに有効な治療方法がなく十分に満たされていない医療ニーズ)に応えるソリューションを強化していくという。

具体的にはR&Dによるアウトプットを10年間で2倍に拡大し、自社開発のグローバル製品を毎年上市できる会社を目指す。同時に、デジタル技術を積極活用しながらバリューチェーン全体の生産性の飛躍的向上を実現するなど、先進的事業モデルの構築にも取り組んでいく、としている。

成長戦略の実現に向けて“深化と探索”を両立する

「世界最高水準の創薬の実現」と「先進的事業モデルの構築」は、最近でいうところの“両利きの経営”にあたる。

2019年、チャールズ・A・オライリーとマイケル・L・タッシュマンの著書『両利きの経営 「二兎を追う」戦略が未来を切り拓く』が日本でも翻訳出版され、国内でもここ数年多くの企業経営者に知られることとなった。

両利きの経営では「知の深化」と「知の探索」の両方が最重要視される。前者は「主力となる既存事業の深掘り」であり、後者は「新規事業に向けた考察・行動」。しかし現実的に“深化”と“探索”の両立はとても難しい。

特に既存事業で一定の成果が出ているほど、組織として“知の探索”まで手を出すことに対しては、躊躇することもある。

しかし中外製薬株式会社 上席執行役員 (人事、EHS推進統括、人事部担当)の矢野嘉行氏は「製薬企業だからこそデジタルやテクノロジーを使いながら、シーズ(=医薬品のもととなる化合物・化学物質)を探さなければならない」としたうえでこう話す。

「新たなイノベーション・新たな事業を興していかないと先が見通せない時代です。深化と探索に当社『TOP I 2030』を当てはめるならば、“深化”は徹底的な強みの洗練、現モデルにおける価値最大化と生産性の追求。“探索”は既存のやり方とモデルの変革、自前主義からの脱却、次を見据えた布石です。

これを人事戦略として考えると、その実現はとても難しいことのようにも感じるかもしれません。

しかしよくよく考えてみれば創薬の研究はデータの宝庫であり“ヒトの遺伝子情報・ゲノム”はいわばビッグデータです。イノベーターにとってはこれほど魅力的なコンテンツはありません。必要なのは社員のなかにイノベーションを“自ら起こす”動機付けを育む、そんな仕組みづくり・風土醸成であると考えています」

新たな人財マネジメント方針“3カテゴリ・6項目”

イノベーションを“自ら起こす”動機付け——。最たるポイントは社員の自律だ。ではその自律を“誰が”促していけばよいのか。矢野氏はその仕組みづくり・風土醸成を担うキーマンに「人事部門」を推す。

同社は「TOP I 2030」実現のための人事戦略として、新たな“人財”マネジメント方針も策定した。

矢野氏は「“深化と探索”の両立のため、従来の延長線ではなくこれからの事業に求められる人財像を描き、彼らを惹きつけ、能力を十分に発揮させ、成長をすることを奨励し、組織パフォーマンスにつなげる——そんな人財マネジメントが求められている」と話した。

次にまとめた“3カテゴリ・6項目”が同社の新たな人財マネジメント方針にあたる。順に紹介しよう。

Attraction & Challenge

1  成長戦略に基づいてポジションをデザインし適財をアサイン

まずは新たな人事戦略でも“いの一番”に行わなければならないのが「人財配置」の仕組みだ。

これまで多くの企業で敷かれてきた配置転換を「会社・組織側の都合にあてがうかたちで人財を配置する」、そんな“適材適所”の施策とするならば、同社が今回とった施策は“適所適財”。

すなわち目指すべき戦略・ビジョンをきちんと示してから、戦略実現のための組織・ポジションを設計、そこに人財の登用・配置を行っていく。ポジションマネジメントとタレントマネジメントを両軸で動かしていくことが、大きなポイントとなる。

 

2  年齢・属性にとらわれず挑戦し、役割・成果に応じたメリハリのある評価・処遇の実現

そうした人財配置の仕組みと同じく人事評価制度も大幅に刷新した。旧来の年功序列とは一線を画して、役割や成果に応じた評価制度に変更。管理職登用試験も廃止して、人財要件を満たせば、年齢や社歴に拘らず、どの階層からでもマネジャーになれる仕組みにした。

 

Learning & Growth

3  上司-部下のCheck-Inによるフィードバック文化の構築

人事制度を刷新した後は、実際にそれらを運用していくことになる。中外製薬では「INSIDES」と呼ばれる社員ミニアンケートを活用しながら、上司とメンバーが、組織のビジョンと個人の想いをすり合わせ、個人のキャリアや育成を対話するCheck-In、一般的な企業でいうところの「1on1」が実施される。

Check-Inでは社員の成長・自律を促進するトピックとして「5C」と呼ばれる5項目を設定。5Cの中でも矢野氏が最も重要だと語るのがContributionだ。社員の仕事に対する動機と組織の目標を、目下の業務から離れて考えてみることが、社員のエンゲージメントにつながっていくという。

4  I-Learningの導入・拡充による自律的な学び/成長の支援

育成面では、社員各々が目指す役割に必要なスキルやコンピテンシーを可視化。そのトレーニングに適切なコンテンツを選択できる仕組みとして、オンライン型のラーニングプラットフォーム(I-Learning)も提供している。

この仕組みにより、社員は自らのキャリアを思い描き、そして自らの目指す姿と現実のギャップを埋めるかたちで学びの機会を得ることができ、キャリア形成への主体性が育まれる。

Engagement & Collaboration

⑤働きがい改革/D&I/健康経営の推進による活躍社員の増加

⑥部門の枠を超えてイノベーションを生み出す風土の醸成

人財の配置・評価、そして人財の育成に続く最後の項目は、人財のエンゲージメント向上とコラボレーションだ。そもそも同社は組織変革を「活躍したい人がもっと活躍できるような仕組み・風土づくり」と定めている。その実現を担う社員を、会社のビジョンや目標の実現・達成に向け、自発的・能動的に行動している人財と定義して、「活躍社員」と呼んでいる。

また、活躍社員を増やすための改革を「働きがい改革」と定め、それは「社員エンゲージメント×社員を活かす環境」によって形成されると考えた。特に働きがい改革では社員・会社の双方によるコミットメントが必要と考え、各人の行いを皆で認め合い、失敗を恐れず挑戦するような承認文化醸成も試みている。

矢野氏はイノベーションを生み出す風土の醸成にあたって、人事がやるべきこととして「個を描く」「個を磨く」「個が輝く」の3つを挙げる。「個を描く」では一人ひとりが活躍できる人財要件、人財像を定める。「個を磨く」ではマネジメント改革によって成長する文化をつくる。「個が輝く」では、自律したエンゲージメントの高い社員が活躍できる仕組みを整える。矢野氏は、「これらすべてが人事の仕事」だと語った。

人事部は風土醸成の専門外!?「最早そんな時代ではない」

こうした企業の人事戦略、ひいては組織変革につきまとうのは「262の法則」と呼ばれている現象である。組織・集団での活動が、特性により2割:6割:2割に分かれるとする言葉だが、同社の施策においても、「自律的に行動する人・しない人」の二項対立で議論されるのではないかということが懸念されたという。

「ただ、その前段で大事なのは“自律的に行動しない”と思っている人たちが、本当にみんな“行動しない人間”なのかどうか、です。なかには『本当はやりたいけど、やり方がわからず、その力を発揮できていない』人もいるでしょう。いや、むしろそうした人のほうが多いかもしれません。そうであるなら、その方々からどうやって想いを引き出していくか、もっと活躍できる環境を整えていくか。人事戦略の肝はそこだと思います」

新たに策定した人財マネジメント方針において、人事部門に課せられる役割は実に多彩である。“会社の風土醸成”も過去の価値観で考えれば「人事部門の専門外」であったはずだ。

しかし矢野氏は「最早そんな時代ではない」と力強く明言し、最後にこう付け加えた。

「組織カルチャーの変革は“上”が変わらなければ絶対に為し得ません。しかし現場に近いところでより実践的に変革を引っ張っていくのは、他ならぬ“人事部門”の仕事だと思います。特に組織を変革するには結局『社員=個』を変えていくしかない、と私は思っています。個を変える仕事こそが、人事の醍醐味です。組織変革を他人事とせず、自ら担っていく——そのなかでも人事部門がどこまでコミットできるか、にかかっていると思います」

この連載の記事一覧