
【組織の人的資本を高める秘訣】心理的安全性を築く、しなやかなリーダーシップ
2023.05.02
近年注目を集める「人的資本」と「心理的安全性」という2つのキーワード。実はこの2つには密接な関係があるという。組織の心理的安全性を高め、人的資本および企業の価値を向上させていくためにはどうすれば良いのか。『心理的安全性のつくりかた』などの著書がある株式会社ZENTechの石井遼介氏に話を伺った。
Profile

石井 遼介 氏
株式会社ZENTech 代表取締役
一般社団法人日本認知科学研究所理事
慶應義塾大学システムデザイン・マネジメント研究科研究員
東京大学工学部卒。シンガポール国立大経営学修士(MBA)。神戸市出身。研究者、データサイエンティスト、プロジェクトマネジャー。組織・チーム・個人のパフォーマンスを研究し、アカデミアの知見とビジネス現場の橋渡しを行う。心理的安全性の計測尺度・組織診断サーベイを開発すると共に、ビジネス領域、スポーツ領域で成果の出るチーム構築を推進。2017年より日本オリンピック委員会より委嘱され、オリンピック医・科学スタッフも務めた。

『心理的安全性のつくりかた』(日本能率協会マネジメントセンター)
著書『心理的安全性のつくりかた』(日本能率協会マネジメントセンター)は31刷・16万部を数え、読者が選ぶビジネス書グランプリ「マネジメント部門賞」、HRアワード2021 書籍部門 「優秀賞」を受賞。

『心理的安全性をつくる言葉55』(飛鳥新社)
6刷・3万部となった『心理的安全性をつくる言葉55』(飛鳥新社)監修や、『国家の人的資本経営:心理的安全性が拓く未来』(衆議院調査局・RESEARCH BUREAU『論究』 第19号)等の執筆も務める。
「人的資本」とその活用の土壌に「心理的安全性」
近年、注目を集めている人的資本だが、そもそも人的資本とは何を指すのか。OECD(経済協力開発機構)では、人的資本を「Well-Beingの創出に寄与する個々人にそなわった知識・スキル・能力・属性」と定義。またその効果としては「個人的な幸せのみならず、社会的・経済的な幸せの創出に寄与する」としている。すなわち、あくまで「個々人」のスキルや能力を指すのが「人的資本」なのだ。
人的資本の概念は1964年、のちにノーベル経済学賞を授与されるゲイリー・ベッカー教授の著作「Human Capital」によって広く知られるようになった。人的資本とはもともとは経済学、特に教育経済学の用語で、アメリカ合衆国における公的教育への投資と、社会へのリターンを考察するものだった。その投資の主体が国家から企業へと拡張され、近年は人的資本経営というキーワードが盛り上がりを見せている。
近年、人的資本が注目を浴びている背景には、企業価値の決定因子が、有形資産から無形資産、中でも人的資本に大きくシフトしていることが挙げられる。設備投資などの有形資産が未来の収益を生むのではなく、どれだけ良い人材が、どれだけ活躍できるかが収益の源泉となったのだ。
では企業はどのように人的資本を育めば良いのか。株式会社ZENTechの石井遼介氏はキーワードとして「心理的安全性」を挙げる。
「人的資本経営にとって心理的安全性は、2つの観点で重要です。1つ目は、心理的安全性のある組織やチームでは、エンゲージメントや人材の定着率が向上し、リスキリングやチームの学習が促進され人材が育ちます。つまり、心理的安全性によって、人的資本そのものを増強することができる点です。
2つ目は、心理的安全性が人的資本を成果や企業価値に繋ぐという点です。高度な人材・人的資本を、組織・チームとして、高い成果や企業価値向上に繋げるのが心理的安全性なのです。
つまり、心理的安全性は①人的資本を育む土壌であり、②育まれた人材のコラボレーションの土壌でもあるのです」(石井氏)
心理的安全なチームは軌道修正しながら前進できる
では、そもそも心理的安全性とはなんだろうか。
ここ2〜3年で耳にする機会が増えた心理的安全性だが、実は1965年から半世紀以上に亘って研究されている、骨太な概念だ。もともとは、組織全体に対する概念だったが1990年代後半、ハーバード大学のエドモンドソンが「心理的安全性はチームごとの特徴である」という洞察を発表した。
「エドモンドソン教授は初期の研究で医療チームの治療成績とミスの関係を調査したところ、治療成績が良いチームのほうが、ミスの数が多かったことを発見しました。直感とは矛盾する結果です。さらに深掘りすると、ここで計測していたミスの数は、実際のミスが起きた数ではなく『ミスとして報告された数』であることが判明しました。つまり、治療成績が良かったチームは、ミスをしたときにすぐに報告できるチームであることがわかったのです」(石井氏)
一方で、ミスが起きたとしても報告できない、相談できない、一人で抱え込んでしまうのが心理的安全性が低く、治療成績の悪いチームだ。このように、エドモンドソン教授の研究からは、ミスが起きたときにすぐに報告できるかどうかが心理的安全性を測る1つのバロメーターであることがわかる。チームの誰もがミスの報告や率直な意見を言い合える状態であることが心理的安全性のある状態であるといえるのだ。
50年以上研究されてきた心理的安全性がここ数年注目を集めている背景として、石井氏は、人的資本への貢献に加え「変化が激しく、複雑化している」ことを挙げた。「最初からうまくいくと分かっていることを計画して実行するのではなく、うまくいくか分からないことに取り組みながら、組織・チームとして軌道修正していくことの重要度が高まっている」という。答えが分からない中で事業に取り組み、うまく軌道修正していくためには、リーダーだけが判断を下すのではなく、メンバーの一人ひとりが多様な視点、意見を持ち寄って試行錯誤し、チームとして挑戦することが重要だ。
「心理的安全性の高いチームとは間違えないチームではなく、間違えながらも軌道修正して前に進むことができるチームです。チームの誰もが不都合な事実も共有し、チームの成功のために意見交換や疑問の確認ができるのです」(石井氏)
心理的安全性を構成する4つの因子
心理的安全性の高いチームはどのようにつくることができるのか。その指標となるのが、心理的安全性を構成する4つの因子「話助挑新(わじょちょうしん)」だ。
「何を言っても大丈夫という『話しやすさ』、困ったときはお互い様という『助け合い』、新しいことを試し取り組む『挑戦』、異なる見解や異能を求める『新奇歓迎』の4つ因子があると心理的安全性が高いチームであるといえます。この4つの因子に着目して自分たちのチームの状態を見ていくと、心理的安全性があるかを判断することができます」(石井氏)
チームの特徴や大事にしていることによって、4つのうちどの因子が高くあるべきかは異なる。イノベーション推進室という名の組織が実は「挑戦」が低かったり、人事部門が「話しやすさ」が低かったりなど、チームのあるべき理想と現実が乖離してしまっていないか、4つの因子を参考に目を向けてみると良いだろう。
また、石井氏は心理的安全性が人的資本にどのような影響をもたらすかについて、ZENTech社の組織診断サーベイ「SAFETY ZONE®」を用いて日系大企業の従業員を1年追った調査結果を紹介した。
「どの年代でも、離職した人の心理的安全性は勤続者と比べ低いことが分かりました。特に若手のほうが心理的安全性に対する感度が高く、心理的安全性の低さは、若手社員の大きな離職リスクだと考えられます。
特に若手は④新奇歓迎因子、30代の中堅社員は②の助け合い因子、40代は③挑戦と②助け合い50代以上は④新奇歓迎因子の低さが、離職リスクとなることが示されました」(石井氏)
心理的安全性と仕事の基準は両立できる
心理的安全性について語るとき、しばしば心理的安全性のある組織=「ヌルい職場」という誤解を持たれることがある。石井氏はこの点について次のように語った。
「『心理的安全性』と『仕事の基準」の2つの軸で考えることが重要です。私たちはもちろん、心理的安全性だけが高く、仕事の基準が低い状態を目指しているわけではありません。図の右上のように、心理的安全性も仕事の基準も高い、だからこそ健全に衝突ができる『学習する職場』を目指してほしいのです」
「また、『仕事の基準を上げると心理的安全性は下がってしまうのではないか』と聞かれることがあります。仕事の基準を上げるために『叱責する』以外のオプションを持たない場合はそうかもしれません。しかし、効果的に仕事の基準を向上させることで、両立することは十分可能です。
真に仕事の基準が高いチームとは、チームのミッションや目的・仕事の意義が言語化・共有されており、だからこそチーム全員の当たり前の水準が高まっている状態です。実際、私たちが組織診断サーベイを用いて、日本企業3,000チームを調べた研究でも仕事の基準と心理的安全性には中程度の相関があり、決して心理的安全性と仕事の基準は相反するものではないことが示されています」(石井氏)
心理的安全なチームでは忖度が減り、誰もが率直な意見や素朴な疑問を伝えることができる。心理的安全だからこそ、仕事の基準を上げて挑戦することができるのだ。
「心理的柔軟性」の高いリーダーシップが心理的安全性を向上させる
では、心理的安全なチームをつくるためにはどのようなリーダーシップが必要なのか。石井氏は、リーダーに求められるものとして、しなやかなリーダーシップを意味する「心理的柔軟性」というキーワードを挙げた。
「心理的柔軟性とは、たとえ困難があったとしてもチームにとって大切なことに向かって進めるように『役に立つ行動を取る』ことです。例えばトラブルが起きた時、問題解決に繋がらない部下の叱責に時間を使うのではなく、部下と協働して建設的に問題解決に取り組むのが心理的柔軟なリーダーです。心理的柔軟なリーダーシップは組織・チームへ良い影響を及ぼし、より心理的安全な組織・チームを育みます」(石井氏)
これを裏付けする調査がある。管理職1人の心理的柔軟性が高いことがどれだけ所属チームの心理的安全性に影響を与えるのかを調査したところ、特に10名以下のチームでは比較的相関が高いことがわかった。40名を超えると1人のリーダーの組織への影響は、比較的小さくなることが分かった。このことからも、会社・組織の中に、心理的柔軟性の高い現場リーダーを多数育成することが重要であるといえる。
リーダーの影響力は大きいが、もちろんチームメンバーの影響も無縁ではない。チーム全員の心理的柔軟性が高いことが、チームの心理的安全の向上に寄与することも判明している。心理的柔軟性が高い人々で構成されたチームは、困難に直面しても心理的安全性を維持し、互いに意見を言い多様な視点を交換し、組織にとって大切なことに向かってチームで乗り越えることができるのだ。
ビジョンに向かっていくチームを目指そう
リーダーとして心理的柔軟性を高めるためには、どうすればいいのだろうか。石井氏は「何かを避けるためにリソースを費やすのではなく、何かを得るために向かっていく。この転換が重要なポイントです。」と語る。
何かを避けるためにリソースを費やすとは、怒られないように報告を後回しにする、ミスが起きてほしくないので権限移譲をしないといった硬直した姿勢、あるいは謝罪したくないので相手の落ち度を探すといった非柔軟な行動が挙げられる。
何かを得るために向かっていく行動とは、相手の成長と学習のための声かけ、問題把握と解決のためのコミュニケーション、共通するビジョンを共に描くといった、目的のために上手くいきそうな行動をしなやかに選択できることである。
「製造業を例にしてみましょう。『リスクを回避したい』を目指すのではなく、『お客様に安全な製品を届けたい』と目指す方向・大切なことを言語化することで、実際に起こせる行動は変わっていきます。『リスクを回避したい』なら、余計なことをしないように昨日と同じことをすればいいと考えるでしょう。しかし、『お客様に安全な製品を届けたい』と向かっていける目標を置いたら、もっと良い方法はないだろうかと工夫や挑戦を促進できます」(石井氏)
このように「避ける」から「向かっていく」へと意識を転換し、心理的柔軟になるためのチャンスとなるのが、「ムカッ」としたときだ。
石井氏は「なにか『おかしいぞ』と感じたときやトラブルが発生したとき、相手の至らない点を強く指摘したり、上下関係を理解させようとしたりするのではなく、『どうなってほしいか』『どうしてほしいのか』という期待や本音を丁寧に伝えることが大切です」と語る。
この転換をするために大事なのが、「いったん受けとめる」ことだ。メンバーがミスをしたときに「なぜもっと早く言わないんだ」と怒るのではなく、「まずは報告してくれてありがとう、詳細を教えてほしい」とコミュニケーションを取ったほうが、より良い問題解決につながっていく。
「トラブルのさなかに叱責しても、単に相手の萎縮を招くだけで問題把握にも解決にもつながりません。大事なのは、課題を解決し、より良い未来に近づく選択肢を選ぶことなのです」(石井氏)
石井氏は最後に、組織では「責任者」「責任を取る」という言葉が飛び交っていることに対して「実は意味が誤解されているケースがある」と指摘し、考えを述べた。
「責任は英語でResponsibility。ラテン語の応答する(respondere)を語源とする、応答-可能性(Responsi-bility)という意味の言葉です。つまり、『責任をとって辞任する』というイメージとは裏腹に、課題が解決するまで応答や対話を続けることが『責任を果たす』ということ。自身の意見と対立する上司やメンバーと応答し続けることは、つい『避けたい』と感じるものかもしれません。けれども組織の未来に『向かっていく』ためにはこうした応答し続けるリーダーが必要であり、こうしたリーダーが組織に増えることで心理的安全なチームがつくられていくのだと思います」(石井氏)
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